p00013からは、1945年11月13日の第二部長要求により、昭和20年11月19日に日本陸軍省が作成した「1945年8月14日 参謀本部隊員表 附 業務分擔」が続いている。
p00018「 第二課 業務分擔表 二〇、八、一四」の9人目に「中佐 朝枝繁春」があり、 その分担業務が「満州方面作戦」であったことを確認できる。
朝枝繁春については、第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会『パネル集 戦争と医学』のp89に、以下の証言が引用されている。
証拠の隠滅、「マルタ」の絶滅、
隊員と家族の脱出
敗戦直前の1945 年 8 月 10 日、 731 部隊設備は爆弾で破壊され、最後まで収容されていた「マルタ」全員が殺害されました。また、ほとんどの書類や研究資料は焼却処分され、全部隊員および家族に脱出命令が下されました。
関東軍司令官(参謀本部作戦課主任)朝枝繁春より石井四郎部隊長への指示
貴部隊は全面的に解消し、部隊員は一刻も早く日本本土に帰国させ、一切の証拠物件は永久にこの地球上から雲散霧消すること。
このために工兵一個中隊と爆薬5トンを貴部隊に配属するように、既に手配済みにつき、貴部隊の諸設備を爆破すること。
建物内のマルタは、これまた電動機で処理した上、貴部隊のボイラーで焼いた上、その灰はすべて松花江に流すこと。
貴部隊の細菌学の博士号をもった医官53 名は、貴部隊の軍用機で直路日本へ送還すること。
その他の職員は、婦女子、子供に至るまで、満鉄で大連にまず輸送の上、内地に送還すること。このため満鉄本社にたいして関東軍交通課長より指令の打電済みであり、平房店駅には大連直通の特急( 2500 名輸送可能)が待機している」
(青木冨貴子、「731 」新潮社、 2005 年、 p129
青木冨貴子が記した「参謀本部作戦課主任」という分擔は、p00018では見当たらない。
本公文書p007に「大本営陸軍参謀部擔任業務区分表」がある。この表は「昭和18年10月15日」調整、昭和20年3月1日改正、同4月20日改正の「大本螢陸軍部幕僚業務分撥規定」 に附せられたものである。第2課は第1部に区分されている。擔任業務として以下が記されているが「関東軍」「作戦課」という字句などは見当たらず、いかなる業務分撥かは、本公文書ではわからない。
作戦用兵に関する事項
諜報並びに科学諜報に関する事項
地図、測量に関する事項
兵要起床調査の統制に関する事項
https://ja.wikipedia.org/wiki/参謀本部_(日本) によれば、廃止時の組織 内部部局の構成として参謀本部第1部に「作戦課(第2課)」があると記されている。
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