2024年3月8日スキャン
平29厚労03297100 部隊資料 第2編終戦並終戦より正式降伏迄の動き 昭和31年7月 厚生省引揚援護局史料室 全画像319枚はコチラ。本公文書のpdf(OCR処理済、539MB )はコチラ。
3枚目は、原本の表紙と思われる。中央に表題「第2編 終戦並終戦より正式降伏迄の動き」、左下に著者名「厚生省引揚援護局史料室 西原事務官」が記されている。
p274-p275 には、関東軍防疫給水部に関して以下の記載がある。
4枚目は、3枚目の裏側で要旨書きされている。翻刻結果は以下のとおりである。
第二編に於ては、無条件降伏と言う未會有の事態に直面した軍中枢部 が、正式降伏に至る約半月の間に 於て、承詔必謹の為如何に努力を尽し、叉、御聖断後の混乱時期に暗中模索の格構で如何に彼比考慮を廻らし、以て、萬般の処理を進めたかと言つたような事実に 関して、記述することとした。
本記述は研究の為関係事項を羅列式に取纏めた丈けのもので、推敲を加えて居らないのは勿論、内容に補備修正を要する処が頗る大であることを自認して居る。
謂わば、向後の資料整理の為の取敢えずの研究材料にしか他ならぬ。
5枚目以降に目次(下段に翻刻結果を表示)、本文が続いている。
厚生省引揚援護局史料室 西原事務官については、以下を検索することができる。
厚生省引揚援護局史料室・西原事務官編「終戦の経緯」という ...
事例作成日2018/05/29、登録日時2018/06/02 00:30、更新日時、2018/07/06 10:06、提供館 国立国会図書館、管理番号1254982
同レファレンスでは、質問:「厚生省引揚援護局史料室・西原事務官編『終戦の経緯』という資料を探しています。おそらく1956年刊行と思いますが、資料の所蔵館が確認できませんでした。」に対する回答が記されている。回答要旨は「国立国会図書館オンライン、国立国会図書館サーチ、国立国会図書館デジタルコレクション、リサーチ・ナビ、CiNii、国立公文書館デジタルアーカイブ、アジア歴史資料センターを検索しましたが、おたずねの資料は確認できませんでした。」であり、未解決のロゴが付されている。
今回国立公文書館より公開された本公文書は、付記された作成年月、「昭和31年7月」と文書内容より、厚生省引揚援護局史料室・西原事務官編「終戦の経緯」の内の第2編とも推察できる。
なお、第1編は2024年10月14日現在、公文書館でも見当たっていない。
また、「部隊資料 第2編 終戦並終戦より正式降伏迄の動き」と題する公文書が他に2件、平29厚労03295100、平29厚労03296100あるが、要
西原事務官
大蔵省印刷局 編『職員録』昭和31年 上,大蔵省印刷局,1956. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3021497 (参照 2024-10-16)
国立国会図書館請求記号 317.2-Sy957-O
国立国会図書館永続的識別子 info:ndljp/pid/3021497
p532(323コマ目)に厚生省引揚援護局(旧陸軍関係)の名簿がある。整理課 課長補佐に西原征夫の名がある。
西原征夫(読み)ニシハラ ユキオ
20世紀日本人名事典 「西原征夫」の解説
西原 征夫
ニシハラ ユキオ
大正・昭和期の陸軍大佐
生年明治38(1905)年3月20日
没年昭和52(1977)年5月2日
出身地東京
学歴〔年〕陸大卒
経歴 西原為五郎陸軍少将の二男として生まれる。関東軍情報部参謀、満州国軍事顧問などを経て、昭和20年第55軍高級参謀。終戦時、陸軍大佐。戦後は防衛庁戦史室調査員を務めた。著書に「全記録ハルビン特務機関」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
西原征夫の著書
1) 西原征夫: ノモンハン事件. 成橋均 等編『太平洋戦争名画集』続, ノーベル書房, p100-105, 1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2517584 (参照 2024-10-16)
国立国会図書館請求記号 720.8-Ta164
国立国会図書館書誌ID 000001110573
国立国会図書館永続的識別子 info:ndljp/pid/2517584
2) 西原征夫 著『全記録ハルビン特務機関 : 関東軍情報部の軌跡』,毎日新聞社,1980.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11974656 (参照 2024-10-16)
DOI: 10.11501/11974656
受理日(W3CDTF)2022-01-07T16:23:00+09:00
「西原征夫: ノモンハン事件」のレビュー
細菌戦に関する言及は見当たらない。
西原征夫 著『全記録ハルビン特務機関 : 関東軍情報部の軌跡』のレビュー
人名索引では石井四郎など関東軍防疫給水部隊員名は見当たらない。
事項索引では「細菌謀略 p114」がある。同ページには以下の記載がある(その他に、関東軍防疫給水部、六五九部隊、七三一部隊などに関する事項は見当たらない)。
工作が最も積極極的であった頃には、我が方において遠くシルカ河の線付近に諜報の拠点を設けたこともあった。
この地方(西山注: 興安北省三河地区)は、農牧の盛んな処であっただけに、ソ逆の細菌謀略の対象となっていたようである。即 ち昭和十七年初夏(?)の頃、当時、突然羊約三〇〇、牛約一〇〇余頭が斃死したので、直ちに第一〇〇部隊(獸医関係の細防疫並びに工作の研究部隊)の応援を得て、現場について調査したところ、この地方には珍しい螢を有する鼠を発見し、結局、ソ連側の細菌謀略であるやの疑いが濃くなり、直ちに非常手配し、越境者の捜査をしたところ、ナラムト南方地区に不審の露人を発見したので、これを逮捕せんとした瞬問、彼は季銃自殺を遂げた。
三河機関に於ては、この際、遺留品は海拉爾機関に送付するよう、現地の保安局員を指導したのであるが、同局員は新京に直送し、新京に於て、細菌的検索が行われたのである。当時第一〇〇部隊の有力なる支部が海拉爾に出されていたので、送達先が海拉爾であったならば、一層迅速かつ適確な結論が得られたのであろう。
同p288には「全国近歩一会会長 甲 谷悦雄」による「著者 西原征夫君を偲んで」(昭和五十五年八月)がある。翻刻結果は以下のとおりである。
故西原征夫君は、東京の陸軍中央幼年学校予料以来、私の一期下の敬愛する友人であった。それ故に私は、西原君が戦後防衛庁研究部の戦史室に入ってからも、同君の研究に誠意をもって全面的に協力したものである。
というのは、私が昭和十四年の三月旧陸軍参謀本部第二部のロシア班長になってから、間もなく始まったノモンハン事件の惨澹たる失敗にかんがみ、対ソ情報勤務体制の全面的な建て直しに着手したとき、この敬愛する西原君をとくに選抜して、当時在満対ソ情報機関の中心であったハルビン特務機関に行ってもらい、続いて関東軍情報部の正規の編制化にともない、ハルビン特務機関–実は関東軍情報部本部の参謀として、対ソ情報勤務の中心的役割を果たしてもらったのである。その頃、私は関東軍参謀部第二課主任参謀に転出して、もっとも緊密にハルビン情報部本部と連絡していたから、西原征夫君とはとくに縁が深い。
だから西原君も私の物の考え方や計画をよく理解していてくれたし、私にも西原君の意図や企画がよくわかっていた。私の記憶する限り、ただの一度でも見解や意見が対立したことはない。それ故私は、西原君のこの遺著にも全幅の信頼をおいている。
想えば、西原君が防衛庁研究部の戦史室に勤務していた頃、私は郷里山口県から西浦進戦史室長の名をもって何度呼び出されたか知れないが、その用件の少なくも三~四割程度は、西原君の対ソ情報勤務の記憶をたしかめるためだった。したがって西原君のこの遺著にも、私は少なからぬ責任を感じる。その意味で私は、西原君のこの遺著が広く多くの読者に読まれ、新しい時代の情報勤務に十分に役立つようになることを念願する。
そうなれば、地下に眠る西原征夫君もきっと喜んでくれるだろう。ひとくちに言って私の好きだった故西原征夫君、どうぞ安らかに眠ってくれ。故人の実兄西原龍夫君は私の同期で、私ともとくに親しい仲だが、征夫君に代って自重自愛、健康にとくに留意してほしいと思う。そして彼ともども重ねて読者の皆さんに、この西原征夫君の著書の意のあるところを、深く味わっていただくようお願いする。
関東軍防疫給水部に関する記載
本文書を「防疫」で検索した結果、p274-p275 に、関東軍防疫給水部に関する記載があることが判明した。同箇所は目次の「第11章4 一部特別緊急の復員」の項にある。
同項冒頭には
前述の如く復員はなるへく速办に着手する方針ではあつたが、実際に於ては、停戦協定調印后に行われるものと予想された。
然る処、一部の部隊は、調印前に既に復員を開始 し、又、一部の軍人軍属に対しては、所属部隊の復員に先つて召集解除·除隊解職乃至予備役編入が行われた。
即ち、八月二十二日陸機密第三七二号により(以下、略)
と記され、
「特殊部隊·学校の一部(中野学校・中央特種情報部・習志野学校・大本営第四通信隊・作井隊等)が、他に魁けて復員することとされ、」
と特記されている。
p274-p275 の関東軍防疫給水部に関する翻刻結果は以下のとおりである。
茲に於ては、8月27日、陸機密電第八六号により、外地最高指揮官に度し、
特別に緊應を要する隷下部隊の一部を現地部隊に於て復員(復帰)ることを得。
と、通達したが就中隷下に、防疫給水部、化学部関係の部隊を包有せる関東軍 及支那派遺軍各総司合官に対しては。八月二十八日、陸機密電第八十八号を以て。右記両部隊の一部若くわ全部を成るへく速に復員すべきこと 並その細部実施要領は既述内地部隊に関する細則規定を準用するとを電命した。
但し、此の陸機密電第八十八号は、内容に明記してある通り、現地復員を命じたものでなく、只、復員時期を急いだものに他ならず、その細部は、細則規定の条項により、一に最高指揮官の裁量に委せられるものとせられて居た。
註、関東軍防疫給水部 は 一般防疫給水に関する事項の他、一部、細菌戦に関する事項を研究することを任として居た。
また、化学部関係の部隊は、毒化斯に関する研究をも担任して居た。
なお、陸機密第三七二号、同八十八号は、2024年10月14日現在の検索では見当たっていない。
第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会『パネル集 戦争と医学』のp89に、以下の記載がある。
証拠の隠滅、「マルタ」の絶滅、
隊員と家族の脱出
敗戦直前の1945 年 8 月 10 日、 731 部隊設備は爆弾で破壊され、最後まで収容されていた「マルタ」全員が殺害されました。また、ほとんどの書類や研究資料は焼却処分され、全部隊員および家族に脱出命令が下されました。
関東軍司令官(参謀本部作戦課主任)朝枝繁春より石井四郎部隊長への指示
貴部隊は全面的に解消し、部隊員は一刻も早く日本本土に帰国させ、一切の証拠物件は永久にこの地球上から雲散霧消すること。
このために工兵一個中隊と爆薬5トンを貴部隊に配属するように、既に手配済みにつき、貴部隊の諸設備を爆破すること。
建物内のマルタは、これまた電動機で処理した上、貴部隊のボイラーで焼いた上、その灰はすべて松花江に流すこと。
貴部隊の細菌学の博士号をもった医官53 名は、貴部隊の軍用機で直路日本へ送還すること。
その他の職員は、婦女子、子供に至るまで、満鉄で大連にまず輸送の上、内地に送還すること。このため満鉄本社にたいして関東軍交通課長より指令の打電済みであり、平房店駅には大連直通の特急( 2500 名輸送可能)が待機している」
(青木冨貴子、「731 」新潮社、 2005 年、 p129
以下は翻刻目次です。翻刻できなかった漢字は●で表示してあります。右端はページ番号です。
第一章 | 阿南陸相の自決 | 一 | |
1 | 従容たる最後 | 一 | |
2 | 阿南陸相に対する回想 | 六 | |
○阿南大将の自刃にっいて | 竹下中佐 | 六 | |
○阿南陸相の事ども | 井田中佐 | 一二 | |
第二章 | 宮城事件 と 東部軍司令官田中静喜大将 | 二〇 | |
1 | 宮域事件の概要 | 二〇 | |
2 | 宮城事件に関する手記 | 二七 | |
○宮域事件の本質 | 井田中佐 | 二七 | |
○宫城占拠事件 | 不破大佐 | 五四 | |
3 | 田中軍司令官の自決 | 七七 | |
4 | 田中大将に対する回想 | 八六 | |
○軍司合官と幕僚 | 高島少将 | 八六 | |
○お見事本自決 | 不破大佐 | 九〇 | |
第三章 | ポツダム宣言受諾匠関する詔書 並 放送と対外措置 | 九三 | |
1 | ポツダム宣言受諾匠関する詔書 | 九三 | |
2 | 玉音放送 並 内閣告諭ii | 九七 | |
3 | 対外通達 | 一〇一 | |
第四章 | 内閣更迭 | 一一〇 | |
1 | 鈴木内閣の給辞職 | 一一〇 | |
2 | 東久蓮内閣の誕生 | 一一八 | |
第五章 | 停戦に関する問題 | 一二三 | |
1 | 積極進攻作戦の中止 及 停戦に関する措置 | 一二三 | |
2 | 御名代宮殿下の特派 | 一三六ノ二 | |
3 | 作戦任務の解除 並 一切の武力行使の停止 | ー三八 | |
4 | 停戦の 概 況 | 一四一 | |
5 | 停戦に関する対連合国申入れ | 一四四ノ二 | |
第六章 | 中央の承認必謹に対する第一線諸軍の動向 | 一四五 | |
第七章 | マ ニ ラ会 談 | 一五〇 | |
1 | 我方の代表 | 一五〇 | |
2 | 我方の 要求希望事項等に関する事前研究 | 一五四 | |
3 | 河辺代表一行の行動 並 連合軍の指示 | 一六三 | |
4 | 河辺代表一行の帰還 | 一七四 | |
5 | 緊急要措置事項に関する準備 | 一七八 | |
6 | 陸海軍一般命令第一号に関する細部の連絡 | 一八二 | |
第八章 | 終戦時に於ける波瀾の若干 | 一八七 | |
1 | 首相官邸等焼討事件 | 一八七 | |
2 | 上野公園占拠部隊の事件 | 一九三 | |
3 | 川口放送所占拠事件 | 一九八 | |
4 | 少壮将校による不穩の計畵 | 二〇一 | |
第九章 | 終戦に関する勅語・陸相訓示等 | 二〇四 | |
1 | 終戦に当り陸海軍人に対し賜った勅語 並 勅語に関する陸相の訓示 | 二〇四 | |
2 | 其后に於ける陸軍当局の注意事項訓示等 | 二〇八 | |
3 | 軍政処理 並 軍秩維持に関する通逹 | 二一四 | |
4 | 下村定陸相の訓示ー並放送 | 二一八 | |
第十章 | 終戦后に於ける日本軍人軍属の作虜たる観念について | 二三一 | |
第十一章 | 終戦直后に於ける復員に関する構想 | 二三六 | |
1 | 要旨 並 終戦直后に於ける基本構想 | 二三六 | |
2 | 内地に於ける軍隊・官●・学校匹対する復員の方策 | 二四三 | |
3 | 外地に対する復員の方策 | 二六四 | |
4 | 一部特別緊急の復員 | 二七二 | |
第十二章 | 軍旗の奉焼 | 二七七 | |
第十三章 | 終戦対策の為処理機構 | 二八一 | |
1 | 陸軍に於ける機構 | 二八一 | |
2 | 政府に於ける機構 | 二八四 | |
第十四章 | 武装解除に関する中央の措置 | 二八七 | |
1 | 外地軍の武装解除に対する考慮 | 二八七 | |
2 | 支那派遣軍及関東軍武の装解除に関する措置 | 二八九 | |
第十五章 | 治安警察 | 二九四 | |
1 | 進駐合国軍との間の磨擦回避の処置 | 二九四 | |
2 | 国内匹於ける不測の騒擾に対する考慮 | 二九七 | |
3 | 治安警備に関する陸海軍協定 其他 | 三〇三 | |
第十六章 | 正式降伏迄に於ける陸軍の最後的努力 | 三〇八 | |
1 | 天皇布告文・降伏文書・陸軍一般命令第一号に関する | 三〇八 | |
陸軍の意見 並 帝国政府としての要望事項 | |||
2 | 連合国最高司令官に対する事前了解取付事 | 三三〇 | |
3 | 其他、連合国軍進駐前、 中央省部の抱懐して居た希望事項 | 三四四 | |
第十七章 | 復員軍人に対ナる職業輔導 | 三五一 | |
1 | 終戦直后に於ける輔導会の発足 其他 | 三五一 | |
2 | 復員者の民業復帰・援護等に関する陸相の放送 | 三五四 | |
3 | 厚生省に於ける処理の概要 | 三五八 | |
4 | 職業輔導に関する回想 | 三六一 | |
○ 輔導会の濫觴 | 額田中将 | 三六一 | |
第十八章 | 連合国側の伴虜 並 軍抑留者の取扱 | 三六五 | |
1 | 我方の注意通達 | 三六五 | |
2 | 連合国側の要求 並 之に基く我方の措置 | 三七一 | |
3 | 連合国側に於ける給与品の投下 並 直接連絡 | 三八二 | |
4 | 連合国利益代表国と 並 国際赤十字の活動 | 三八七 | |
5 | 連合国の伴虜等の動向 | 三九三 | |
6 | 伴虜・抑留者忙関する情報の提出について | 四〇〇 | |
第十九章 | 軍需品軍用地の処理 並 対復員者給与 | 四〇二 | |
1 | 終戦時匠於ける 軍需品 並 軍用地等 の 処理方策 | 四〇二 | |
2 | 陸軍解散に伴う給与等 | 四一五 | |
3 | 軍需品等処理に関する注意倍● | 四一七 | |
4 | 軍需品等緊急処分方策の変更 | 四一九 | |
第二十章 | 孤立せる離島に対する緊急補給 | 四二一 | |
第二十一章 | 連合国軍の進駐 | 四二六 | |
1 | 進駐に関する連合国側の要求 | 四二六 | |
2 | 我方の対応措置 | 四四三 | |
3 | 連合国軍の厚木・横須賀等進駐 | 四五〇 | |
第二十二章 | 国に殉じた人々 | 四五四 | |
第二十三章 | 終戦直后に於ける政府施策の概要 | 五二四 | |
1 | 東久渥首相宮の決意 並 抱負 | 五二四 | |
2 | 各省の主要方策 | 五三六 | |
第二十四章 | 終戦直后に於ける米国の対日論調 | 五五四 | |
1 | トルーマン大統領の声明 | 五五四 | |
2 | 米新聞の対日論調 | 五五六 |
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